子曰、
吾十有五而志于学、
三十而立、
四十而不惑、
五十而知天命、
六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。
年をとる=成熟ということではない。それは私たちの思い込みに過ぎない。
この本で述べられている「新」老人は「キレる老人」である。
「待つこと」のできない老人が発生している。
何が彼らを生んだのか。それを時代背景とともに述べていき、後半は老人というよりも世相について話をしている。
携帯電話を連絡する道具と使うか繋がる道具としてつかうか。これは世代によって違ってくる。
著者は「私たちの世代は・・・」という言い方をつかって、ケータイメール、ネットなどについて語っている。1955年生まれの著者は母と同世代であるが、うちの母はメール・インターネットに対して著者ほどの拒否感をもっていない。使いこなせていない感はあるが、むしろ意欲的に取り組んでいるほうだと思う。ワープロ、パソコン、携帯電話…それらをうちの家庭に導入したのは母である。使いこなせているかは別として。
私の姉の世代は、パソコンが必須の世代ではない。事実彼女の高校時代に聞いた話では「パソコンを使えるのはオタクな感じがする」という話を聞いたことがある。このオタクはキモイと同義で使われていると思っても支障はない。彼女の世代は「メールより電話のほうが早くていいじゃん」という考え方をする人の割合が減ってきつつある世代なのではないか。
私自身は電話が苦手で、メールで「今から電話していい?」と聞く場合もあるくらいだ;;
常につながれるツールがあるから、こういう状況が発生したのではないだろうか。