デブ・ブサイク・不潔…まとめるとキモイ。そんな“野ブタ”を、修二は人気者へとプロデュースすることに。
水の表面をさらっていくような、物語の描き方は物足りなさを感じつつも、気持ちの良いスピード感を演出している。
クラス内カーストという、大人たちが忘れてしまった話を生き生きと描き出す手法はスバラシイと思う。
一方でリアリティに欠ける気がした…私がヘンなのかな。
この作品は日常生活を「演じる」ことによる哀しさみたいなものを描いていますが、「演じる」ことは、ある種の処世術で、ソコまで批判されることないんじゃないか。
事実、野ブタがいじめられっ子から脱却したのはそれがあるからですし。
修二が野ブタを人気モノに仕立て上げていく手法は、本当に上手いと思った。いじめられないように自分を守る処世術というのは、世間を渡っていく上で必要だ。
本当は、いじめなんて起こってはいけないことなのだが、それを無かったこと、見えなかったことにするのはもっといけない。
大人の世界は歪んだいじめなんてたくさんある。
嫁いびりなどはよくあることと認知されているが、いじめだろうそれは。職場でも、家庭でも。
演じるということは誰でもやっていることだろう。電話に出たとき声が高くなりませんか? 彼氏・彼女の前ではいつもと態度変わりませんか?
演じている自分に気付く人は心が疲弊してしまうのだろうけれど、演じられるということは、その要素を自分が持っているからだ。だから、演じるということは「自分をなくすことじゃなくて自分を増やすこと」なのだ(一条ゆかり『プライド』より)。
さらっと読めるのに、考えさせてくれるという良書でした。