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メモ帳です。それ以上でもそれ以下でもなくありたい。
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発達障害を裁判でどうとらえるべきかという問題提起をしている。
刑事事件を語るには、中立という立場をとるのは難しい。

どうしても、被害者側・加害者側にたつこととなる。

そう考えるとマスコミはある意味中立なのかもしれない。

双方にとって敵であるという意味では。

(もちろん、違うものもあるし、そればかりではない)

今回の、自閉症裁判ではどんなメモをしているか。一部抜粋。

・共生舎

・重罰化と更生

 作業スキルよりもコミュニケーションスキルの向上

・頭の良い社会的にも適応している人の犯罪

・社会的動機

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・車椅子の力

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闘病本てドスーンって感じで暗めな本が多くて、苦手なのですが、なんていうか「私こんなに辛いの! 私、頑張ってるの! みんなも頑張れ!」っていう感じがして苦手…うん、偏見ってことは解ってるんだけれどね。
でも、最近は、こういう病気だからこういう風に辛いとか大変だ、だからこうしてくれたら嬉しいな的なものとか、社会体制への不満とか読んでいて納得の出来るものが多くなっていて興味深く読ませていただいております。
この本は著者(母)と長男がアスペルガー障害で、父と長女、次男が違うということで40%というタイトルがつけられています。
社会体制でぶつかる壁や子育てでぶつかる壁、そのたびに悩んでいることとその結果を理由も含めて解説してくれる。その悩みに深さに共感するのも大事だけれども、私はその思考過程が気になる人なのでこの本はとても面白かった。
小説家で、発達・教育心理学の研究者でもある著者の息子の話。
彼女は、3人の子どもが居る。
長男のマナト、次男のカイト、末子で長女のコトコ。

タイトルにある、自閉症の子はカイトくんである。
自閉症児を子どもにもちながら、また次の子どもを生むということに、スゴイ勇気だと感じたが、それは結局は「何人こどもを欲しいか」という問題だと書かれていて、納得した。

タイトルを見て、スゴイ感情移入して読んで…!!という本なのかと思ったが、そうではなかった。
小説家としての文章と、研究者としての文章が混在していると思われるが、客観的・具体的にこういうことがたいへんで、こういう体制が整っていると良いなというかなり建設的な内容になっていると思う。

この著者、本人でも言っているけれど、小説家なだけあって、ただの優しいお母さんではない。
偏見を持つ人や意地悪な人の話もサラっと出しながらも「こういう体裁をとっているから書けない」こともあるということだ。そういう発言にいろいろと考えさせてくれることもあるし、著者にとっては「もう! こんなやつらもいるんだよ!」という叫びなんだろう。

基本的には、頭を低くして、味方を多くつくり、敵は作らないように。
それでも、難のある人は敬して遠ざけるなど、障害児のいる親に限らず、普遍的に通じる社会生活のノウハウを語っている。
自然に囲まれた大学の中で起こる、動物達との日々を描いたエッセイ。
私にとって信じられないことであるが、動物が大好きな著者。
表題となっている巨大コウモリ事件では、学生から校舎内を巨大なコウモリが飛んでいるという報せを受けた著者は、

「巨大なコウモリが侵入したか。…………すばらしい。」
認知心理学の時間に噴き出した原因はこの文体だった。
蛇に指を呑まれても、貴重な体験ができたと書いている。
「指が搾り出される感触も味わえた。」
 
著者は、動物に惹かれる原因を生物学者E・O・ウィルソンの提唱した「バイオフィリア」という言葉を用いて説明している。
 
また、「脳のクセ」という言い方をしているが、認知的なことにも話を膨らませている。ほら、認知心理学ちゃんと勉強してるよ!
 
ただ、動物って可愛いよね。守らなきゃいけないよね。というともすれば偽善的な内容ではなく、動物たちの生態を元にした著者の動物たちとの関わり方や、専門領域の話など、軽い文体でありながら、要所要所に著者の知識、分析力、観察力の豊富さを感じられる本となっている。
福祉系エッセイ。
特別養護老人ホームで働き、現在は福岡「宅老所よりあい」の所長をつとめる著者・村瀬孝生が紹介する老人の世界。
 
 人生の終わりを家で迎えられる人はどれくらいいるのだろう。住み慣れない街の施設や病院は老人たちにどれほどの負担をかけるのだろう。
 「ぼけた」老人を人間として扱う…当然のことだけれど、彼らと付き合うことはとてもしんどいことだから、人としての扱いをできていない人たちもいる。しかもそれが当然と思ってしまい麻痺してしまう人たちも。
 
この著者は「福祉はいいこと」という概念に警鐘を鳴らしている。
「いいこと」は反省する必要がないから、良くないことをしても気付かない。
 
人間が生きる中で意識しなくては出来ないことなんて、あまり大事じゃない。食事、睡眠、排泄、呼吸…意識しないでも出来ることが大事なんだって。
 デブ・ブサイク・不潔…まとめるとキモイ。そんな“野ブタ”を、修二は人気者へとプロデュースすることに。
 
水の表面をさらっていくような、物語の描き方は物足りなさを感じつつも、気持ちの良いスピード感を演出している。
クラス内カーストという、大人たちが忘れてしまった話を生き生きと描き出す手法はスバラシイと思う。
一方でリアリティに欠ける気がした…私がヘンなのかな。
この作品は日常生活を「演じる」ことによる哀しさみたいなものを描いていますが、「演じる」ことは、ある種の処世術で、ソコまで批判されることないんじゃないか。
事実、野ブタがいじめられっ子から脱却したのはそれがあるからですし。
修二が野ブタを人気モノに仕立て上げていく手法は、本当に上手いと思った。いじめられないように自分を守る処世術というのは、世間を渡っていく上で必要だ。
本当は、いじめなんて起こってはいけないことなのだが、それを無かったこと、見えなかったことにするのはもっといけない。
大人の世界は歪んだいじめなんてたくさんある。
嫁いびりなどはよくあることと認知されているが、いじめだろうそれは。職場でも、家庭でも。
演じるということは誰でもやっていることだろう。電話に出たとき声が高くなりませんか? 彼氏・彼女の前ではいつもと態度変わりませんか?
演じている自分に気付く人は心が疲弊してしまうのだろうけれど、演じられるということは、その要素を自分が持っているからだ。だから、演じるということは「自分をなくすことじゃなくて自分を増やすこと」なのだ(一条ゆかり『プライド』より)。
 
 
さらっと読めるのに、考えさせてくれるという良書でした。
レポート―
「調査研究レポート」本質の解明
例)世界の死刑制度の現状、男女雇用機会均等法のあゆみ
「意見レポート」説得力
例)死刑制度は必要か、男女の役割分担について
「読書レポート」内容要約+(意見・批評)+(感想)
「学習レポート」講義のまとめ


調査研究レポートの書き方

○テーマをしぼる

○資料集め(文献収集、調査・実験・観察)
保存時に書くこと:見つけた場所、書名、著者、出版社、刊行年、内容(引用部は原文ママ)、掲載ページなど

○比較・分析・考察
事実と論理的思考

○フローチャート
一本のライン上に出発からゴールまで、レポートの流れに沿って必要事項を書き入れる。事実・資料を配置しておく。

○レポートの構成・形式
①序論:問題提起
 序、前書き、はじめに、など
②本論:問題解明プロセス。資料の分析、比較、総合などによる
 第1章…、Ⅰ…、見出し語、など
③結論:解明したこと。答え。その意義
 結び、結語、おわりに、など

※意見レポートでは、本論で事実提示→見解を繰り返し、最後に見解を総合し結論を出す。



論文―「研究論文」「意見論文」
卒業論文の書き方
調査研究レポートど大筋は同様

「私」を書く場合
①研究の動機、具体例として自分の体験を語る
②事実を明らかにした後で、それに対する筆者の見解、批判などを述べる。理由と共に。
③筆者が論文の進行役を進める場合
例)次にこの点について検討してみよう





文字は全て全角。
文節ごとに[【】]/を入力。
[]には見出し語の代表形を入力。
【】には見出し語の正書法を入力。

例)その[その【其の】]/牧場の[ぼくじょう【牧場】]/

/を改行に置き換える。
^pで改行になる。

また、】]の間に品詞情報を入れる。

例)
ある[ある【或る】連体]
日の[ひ【日】名]
ことで[こと【事】名]
ございます。[ござる【御座る】動]


品詞は
名詞…名
動詞…動
形容詞…形
形容動詞…形動
副詞…副
連体詞…連体
感動詞…感
接続詞…接

なお、文節ごとの区切りのため助詞・助動詞は対象外となる。



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