山中(2002)『たましいと癒し』収録
事例1 接枝性分裂病者の、とても小説とは呼べない「小説」
事例2 境界例の青年B君の小説 ペダンチック
読んだ小説を話題にするクライエント「窓」
事例3 パールバック『結婚入門』、曾野綾子『誰のために愛するか』、川上源太郎『親の顔がみたい』
ちょうど彼女のそのときに最も必要なアドバイスを小説の中に見つけては持ってくるのであった。
事例4 『No Language but a Cry』、モーリャック『夜の終わり』
大変に優れた言語能力がありながら、ほとんど言葉で自分を語れない、というディレンマに苦しんでいたが、小説の話をするという形で、生々しすぎる内的世界と激しすぎる外的世界いずれにも距離を置けたと思われる。
前者は、内界の直接的表現として、後者は、投影の機制を用いたかたちでの間接的な内界表現として、いずれも、立派に心理療法に組み込まれうるものであることは言をまたない。
文字を媒介とするこうした小説表現をとるものの場合、なかなか、その底流にある、こころの流れを読み取るのは難しく、一種の訓練が必要ではあるものの、そうした方法に慣れれば、これはこれで優れた心理療法の手段となりうる、貴重なものを幾多内包しており、捨てがたいのである。