通信制大学生に実施した、グループ・コラージュと連句について。
円形台紙を使用。
不自由さの中にも自由さを見出したり、自己コントロールの場となったり、思いやりを育むことにもつながる。
協力体制ができる。達成感・満足感が高いことが伺える。
不得意分野はと得意者が補う協力体制で課題に取り組むことができる。
コラージュ制作の外に向かう発散系の身体作業から、連句の内界と向き合う内的作業へと移り、広がったイメージを最小単位の言葉枠に収める作業(内なるまとめ)を行う。また、言語を使用することで、それまで自由にイメージを膨らませていた非現実感から徐々に現実感にもどるプロセスをたどることもできる。
守られた空間での発言の機会は非言語・言語量表現の統合と同時に、発言できた達成感と自身獲得につながっていった。
他者とのかかわりで自分から出てこないものが出てきたため、新たな挑戦につながった。
また、題名付けについても浦河ら(2000)を参照している。
ゲシュタルト的発想
自己理解のためには、いくつかの区切りをもって考えること(いくつの言葉や句とコラージュの切片)と、それ自体を独立することなく関係性を持って存在すること(連句の一巻やコラージュ作品)で、全体(ゲシュタルト)が見えてくる。
グループコラージュと連句を組み合わせることで、発散とまとまりが同時に行え、膨らめたイメージを言語化することで自己体験を意味あるものとしてまとめる作用がある。
「いひおほせて何かある」漢字が残り、表現しきれないものを互いに補い合う関係(相補性)が自ずと生まれ、気持ちを酌み合い、分かち合うことの難しさを体験する。